2020年05月27日
ちんなんもう
2020年05月25日
Sさんの思い出 その2
Sさんは、当時70代くらいの小柄でぽっちゃりした、明るく優しいおばあさまでした。
最初のうちは、沖縄の小さな竪琴「ことのは」を私が持っていき、レッスンしていましたが、そのうちに、「先生、私の子供達がね、みんなでお金出しあって、私のために、この楽器プレゼントしてくれる事になったのよー。嬉しいさー」と、マイライアを購入なされ、とても嬉しそうに笑っていました。
とくに、彼女のお気に入りは、身体に乗せた小さな竪琴のグリッサンド、弦を端から端まで指で全部撫でて音を出すことでした。
直接身体にのせているため、木のボディーから、直接弦の振動が身体に伝わり、耳の近くなので、振動と音が心地よいと、いつもうれしそうに、ご自身の身体の上で奏でていらっしゃったのを覚えています。
普通は、左手で持って弦を見ながら右手で弾きますが、彼女の場合、胸の右側において右手で弾くので、弦は見えません。手の間隔だけで弾くの!寝たままでも弾けるなんて凄い‥。
調子が良い時は車椅子で、そうでないときはベッドに横になって。
車椅子の時でも、視力も弱かったため、弦の間隔を指で確認しながら、手探りで弾くように。
1番はじめにレッスンしたのは、グリッサンドの仕方、それから1音ずつ音を順に弾く練習。
それから、当時小学1年生のお孫さんと歌いたいという、「チューリップ」
それが弾けるようになったら、次は沖縄の歌「ちむがなさぶし」でした。
ちむがなさぶしは、長い時間をかけて育む男女の真実の愛を歌った歌。
Sさんはご自身の人生や出会いを思い出しながら、奏でていらしたのでしょうね。
音楽療法を受けるのではなく、不自由な中でも、弾けるようになる為のレッスンであったことが、今思うと信じられないくらい凄いことでした。
「先生、ここにはねー、寂しい人がいっぱいいるわけ。私の前のベッドのおばあちゃんはね、毎晩、夜になるとアンマー、アンマーて、呼ぶわけよー。勿論彼女が90代だから、お母さんはとっくに亡くなっているんだけどねー。幾つになっても、お母さんが恋しいんだねー。ほかにも寂しい人がいっぱいいるからさ、私ね、ほら、これさわってごらん?いい音して気持ちいいよー。て、みんなに教えたいわけ」
ご自身も不自由な身体にもかかわらず、同じ病院の施設にいる方々を気遣っておられたSさんの優しく温かな気持ちにいつも教えられてばかりでした。
目があまりみえなくても、身体が麻痺しても、動く手の一部と指で、身体の上で嬉しそうに、小さな竪琴を奏でていた、Sさんの穏やかで優しい笑顔を今でも思い出します。
お元気な頃は、働きながら、毎日子供達のお弁当を手作りなさっていたとのことで、お弁当のおかずレシピを私に沢山教えてくださいました。(旬の野菜を使った美味しいおかずを!)
月に2回、1年くらい出張レッスンがつづきましたが、2回目の脳梗塞が起こってからは、レッスンが出来なくなってしまいました。
たった一度ホスピスのコンサートで聴いた小さな竪琴を探して、わたしにまでたどり着いたSさんの思いと、その思いを叶えたご家族(娘さん)、凄い奇跡だったかもしれません。
小さな竪琴を今広めていきたいと思っている私に、沢山の勇気をくれた思い出。
レッスンを最後まで続けられなかったことや、その後、私自身も過労で身体を壊し、生涯続けたいと強く願っていたホスピスボランティアを辞めざるを得なくなり、長い間悲しい思い出として封じ込めていたのです。
でも、やっと悲しいのではなく、深く暖かく優しい思い出として甦ってきました。
Sさーん!ありがとうございました〜〜!
あの時、Sさんの為にアレンジしたチューリップ、本にもなり、たくさんの方々が、ライアやグロッケンで奏でていますよー!
ニコニコ笑って、「いい音して気持ちいいねー」って、喜んでくださってますよね、きっと。
2020年05月24日
Sさんの思い出 その1
何年前だったでしょうか。もう10年以上前、沖縄のあるホスピスで、ライア のボランティア演奏をしていた頃に知り合ったSさんの事を思い出したので、今日は、Sさんとの思い出を書いてみようと思います。
当時、私は月に1回そのホスピスに、ボランティアでライア演奏に行っていました。
みんなが集まれる小さなホールに車椅子やベッドごと参加し、ご家族と一緒に演奏を楽しむことができたのです。ホスピスの患者さんだけでなく、ご希望の方は誰でも参加出来るような開かれたミニコンサート。
私はみなさんのリクエストにお応えして、ライアで歌の伴奏のプログラムを提供していたので、賛美歌から青い山脈のような昭和歌謡、故郷などの童謡と、さまざまなジャンルの歌をたくさん楽しみました。
ベッドごと参加した患者さんには特に素敵なプログラムがあったんですよ!
病院スタッフ、家族、他の参加者がみんなあつまり、ベッドの上に藍で染めたシルクの波布を広げクーゲル(オルゴールボール)や鈴をころがして、周りでは小さなペンタトニックの竪琴や鉄琴(グロッケン)を優しく奏で、マラカスやシェーカーをならしながら、「海」や「七夕様」をみんなで合唱したり。それは心に残るひとときでした。
(波布は静岡のおもちゃ屋さんmiyoshi-yaさんのものです。
http://shop.miyoshi-ya.net/?pid=24096887)
数ヶ月経った頃、私のもとに、一件の問い合わせの電話があったのです。
お電話は、30代くらいの女性の方で、
「私の母がたまたま参加したホスピスのコンサートで、小さな竪琴の音色を聞いて、あの楽器やってみたい!あれなら、自分でも出来そうだから、探して欲しい!と言っているのですが、うちの母でもできますか?ちなみに母は今別の病院の施設で暮していて、脳梗塞の後遺症で、半身麻痺の上、糖尿病のため、動く手の指も少し変形があります。出張で教えていただきたいのですが、可能でしょうか?」と。
そんな状態の方が、ライアのレッスン?そんなことができるのだろうか?
でも、奏でてみたいというお気持ちがあるなら!
私はすぐに引き受けて、「ことのは」を連れて、早速病院での個人出張レッスンがスタートしました。